やっこの徒然草

やっこの徒然草

このブログはやっこの日記です。不快感を感じた場合はレッツリターンをよろしくお願いしますね。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

実習前半終了!
じ・時間がない・・・・・・orz。
今週の実習後半に向けて、テンパルやっこ(≧Д≦)

さっさとアニメ感想行きます。

^^

Fate/Zero アニメ7話 感想

キャスターVSセイバー
背景の枯れ木の森と暗い霧めいた森の情景がもの哀しくとも美しい・・・。
セイバーの騎士道精神、子どもという弱者を守る為に己の体を張るその自己犠牲の精神がもっとも美しく表されている場面だと感じます。
キャスターの姑息でねじ曲がった精神性はセイバーを引き立てる為の悪役としてのキャラ立てがされていると想うと、すこし哀れに感じます。
ディルムッドの登場で、セイバーと最も騎士道精神の波長を合わせていく彼の雄姿がとても格好いいの一言です。
この物語中、一番セイバーと共闘し意気投合できる場面だけにディルムッド頑張ってください。

アインツベルン城の中で、討議するセイバー陣営。
例え意志の不一致があろうとも、セイバー陣営のキーパーソンは切嗣。
普段はセイバーを無視するほどの強気な態度も、たった一人で・・・アイリに呟いた切嗣の弱音。
全てを捨てて・・・逃げればいいのに・・・誰も彼を責めたりは・・・、、、、、。
切嗣の理解者たろうとしたアイリ。
切嗣の想いを受け止め、彼に返した答えは・・・アインツベルンの妄執ではなく、彼自身が自分を許せなくなるのでは?という問いかけでした。
切嗣は戦闘力ははるかに他者には全く引けをとらないほどの力を持っていても、その心は繊細でとても・・・臆病なのかもしれません。
ケイネスとの戦闘はとてもスマートで機能性溢れる動きでとても格好よく頼りになりそう・・・、それでいて水銀の追ってをやり過ごす為に心臓・・・体内の生命活動を止めた時の切嗣の表情はとても悲痛でした。
「言峰・・・奴が恐ろしい。」
切嗣側から言峰をどう認識していたかが初めてわかりました。
今までは自分が魔術師としての思考の枠の外に出て、その外から魔術師を刈っていたのに、初めてその自分を驚異に追い込む戦術の持ち主に出会ったその恐怖感。
切嗣から見た言峰は、自分の今までの戦い方では対処できない戦術と力の持ち主として認識されているのかもしれません。

下記の漫画版での言峰から見た切嗣への想いと比べると、切嗣から見た言峰は、心情的というよりも自分の思考ではとらえきれない存在として脅威を感じているという関係に見えます。



^^

ヤングエース12月号 Fate/Zero漫画版!感想!

あらすじ

埠頭での戦いは終わり、第4次聖杯戦争の戦況の情報整理をするアーチャー&アサシン陣営。
戦力分析をしていく中で、聖杯戦争を代々参加する3大魔術師の家系であるアインツベルン・遠坂・間桐の中で異色を放ち話題に上った、アインツベルンに登用された衛宮切嗣。彼に興味を持った言峰は切嗣の心の内に興味を持つのであった。


イレギュラーや想定外の魔術師やハプニングが多いFate/Zeroの中では、正道をいく遠坂時臣。
戦略として、彼は優秀だと感じます。戦う前には準備を怠りなく備え、他のサーヴァントを打ちのめすだけの力を最高とも呼べる域まで備えたギルガメッシュを召還し、聖杯戦争開始時も情報分析を怠らない慎重さ。
そして、戦場の戦力が減った後は各個撃破していく方法は、中国の孫子の兵法でも出てきそうなぐらい古来から勝つための戦略としてよく知られた方法です。
時臣は己が遠坂家を継ぐときには、普通の才能にしか持ち合わせておらず、魔術師としての道は苦難の道を歩むだろうと宣告された上で、自分の意志で足りない才能を努力の積み重ねで補う努力家でもあります。
そして漫画版では、「喜びはみんなで分かち合おう」と言っていたことから、時臣は他人に対しても普通の日本人としてのおもいやりを持ち合わせていたのではないだろうか?
凜は父親である時臣を尊敬し憧れていたので、時臣の姿勢が凜に影響していたことは十分に考えられます。
凜も持ち前の利発さや気の強さそして英才教育による知識や賢さを持ち合わせていますし、母親の影響で魔術の才能に恵まれながらも、努力を惜しまず他人想いの面は父親の姿を追いかけた結果ではないでしょうか?

凜ちゃんは父親似、桜ちゃんは母親似のような感じですね。

ギルガメッシュ召還に使った蛇の抜け殻の化石は、ずっと遠坂家に放置されていたとしたら、次の第5次聖杯戦争で凜に召還されていたのは、アーチャーエミヤではなくギルガメッシュだったのかもしれません。




そして、
時臣と言峰の会話の中で、切嗣とは何者か?とそれぞれの視点で語られています。

人は自分の視点からでしか、相手を理解することはできない。
相手の見え方・・・、それは相手を見ているようでいて自分の陰・・・自分自身の心を見ているのではないだろうか?
実際の本当の相手はそう思っている訳ではないのに、自分の頭の中だけでぐるぐると思いこみだけが回っている。

時臣は、彼自身が努力の積み重ねで魔術の修行の辛さを耐え乗り越えた人間であるだけに、身につけた力を身勝手に使うことは許せない・・・切嗣は魔術師の誇りがないと言っています。時臣自身が努力の人間であると暗に表現されています。
言峰は、自身に本当に心の底から渇望する自分の気持ちを抑制されて、ただ父の命ずるままに従って生きてきた生き方をしていただけに、無目的に魔術等の修練を積む人間がいると言っています。もしかしたら、言峰はそんな自分という人間の存在を認めてもらいたかったのではないか?そんな気持ちが見え隠れします。

切嗣がアインツベルンに辿り着くまでの経歴を、時臣は切嗣が金儲けの己の利益で行動していると判断しています。
一般的な浅い見方ならそう見えても無理はないと思います。
対して、言峰は「切嗣には自己破滅的・・・利己的なものはなく、何か・・・巡礼するような答えをアインツベルンで得たに違いない」と言っています。恐らく、言峰は自分の心の空虚さを切嗣に重ね合わせ・・・彼に会えば自分も答えが見つかるかもしれない、、、切嗣は自分と同じ種類の人間に違いないと期待しているように見えます。
言峰は自分と同じ気持ちを抱いている人間を探している・・・友人を求めているように私には見えます。

一番気になったのは、切嗣がアインツベルンに辿り着くまでに出没した場所が、戦況の最も荒れた・・・紛争地であると漫画版で指摘されました!!
アーチャーの元になったエミヤもまた、切嗣を見本とし・・・彼の生き方を正義の味方であると信じて紛争地を回っていたのではないだろうか?と想えてなりません。
エミヤが信じた正義の味方のイメージは、この時の紛争地を巡る切嗣であると考えると、アーチャーがUBWルートで述べていたように永遠の地獄を見・・・ついに自分の心は死んだのだと答えたその台詞と一致します。

エミヤが自分自身が魔術師として聖杯戦争に参加した時の召還に出てきたセイバー、彼女にエミヤは惹かれたのであって、生き方の一番の模倣対象は切嗣ではないだろうか?とちょっと考えてみたり・・・
セイバーと士郎であった頃のエミヤもまた、騎士道と正義・・・他人の痛みに人一倍気遣い体を張るその生き方は考え方も一致し、意気投合していった・・・士郎(元のエミヤ)とセイバーはそんな関係?ですかねぇ。


切嗣自身は、魔術師を嫌悪せざるを得なくなった過去を持っている。
一つの価値観だけでは、彼をくくることは出来ないのかもしれません。


次号も楽しみです。


^^




スポンサーサイト
  1. 2011/11/13(日) 15:29:42|
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<拍手レス | ホーム | 【紅茶の美味しい入れ方】>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://yakko801.blog.fc2.com/tb.php/42-1e09130e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。